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ARTIST'S INFORMATION

狩集広洋展「NoMiSo Praktike」

狩集広洋展「NoMiSo Praktike」


2012.12.23sun ~ 2013.1.6sun


12/23(日)から翌年1/6(日)まで、ニューオーサカホテル心斎橋の1階ロビースペースとカフェ「アダスタム」が、作品の常設展示ギャラリースペースになります。また今年の最新細密画作品と共に「狩集流」の原点である「NoMiSo君」も復活します。 今回大量展示とNoMiSo君2012バージョンを新たに増殖販売いたします。
1点1点手作りの同じものが一つもない、不思議なオブジェ「NoMiSo君」の独特の宇宙観をご覧ください。
また、アダムタスの壁面には期間中に巨大壁画を描き上げる予定です。

Special Live Session!

15:00~18:00 Live Charge:¥1,000 (1drink おつまみ付)
+Karishuオリジナルプレゼント付!

●12/23sun.24mon.
Koyo
from Amami
風輪&タダフジカ(24日)
from Tokyo

KOYO
奄美大島生まれ。サックス一本で聴かせるオリジナルスタイルを確立しているリアルプレイヤー。1996年渡米後AKOYAAFROBEATのメンバーなどと活動しN.Yのストリートで経験を積む。2008年"ONE BLOW RECORD"をたちあげソロアルバム"BULE LIGHT"リリース。2008年に狩集と二人で沖縄、奄美大島で数多くのセッションをする。現在129th.StreetBand、The Tchiky'sのSax.として活動している。

風輪&タダフジカ
Singer壮・伸太郎で構成されるシンガーデュオ。2003年5月、結成。電池駆動のスピーカーとマイクを用いた路上ラバダブ「路上でレゲエ」を開始。今回はギターのタダフジカとのアコースティックセッションで特別参加決定。(24日の出演となります。)

●12/29sat.
So-Ichi
from Yokosuka
Sister Sheez & Mango

So-Ichi
横須賀ドブイタを拠点として活動するギタリスト。
自らのバンドMunchyVibesを率いる傍らBreatheLites等のドブイタ周辺の横須賀ローカルバンドには必ず参戦する、知る人ぞ知る横須賀ギター番長。
BreathLitesではSo-Ichiの曲「あした」に狩集のパートがあり横須賀名物になっている。
今回はソロライブ。

Sister Sheez & Mango
大阪を拠点にJamTree、Little-Bの活動を経て新たに大阪ギター番長Mangoとアコースティックユニットを組み精力的に活動するシンガー、SisterSheez。レゲエを基本とし、ラテン系のテイストの入ったジャジーなスタイルを持つ。JamTreeやLittle-Bで大阪、米子、横須賀等で狩集とライブセッション。

●2013/1/6(sun.)
ChalisssCrew
2005年大阪で結成。メンバーはChallisKanashima/Bass Kickerman/Drums
Mi3/Keyboards。2007年初ライブまでメンバーそれぞれがJAMAICAで修業。この3人が融合されて生まれる尖鋭的サウンドは他とは一線を隔す3ピーススタイル。本場Jamaican Reggaeと大阪ダンスホールをルーツに持ち日本や現地Jamaicaにて数多くのレジェンド達とのSessionを重ねる。狩集とShinjiManのセッションバンドSUGOJUの重要メンバー。


アーティスト情報

狩集広洋 / Kashu Hiromi
1959年大阪市港区生まれ。

子供の頃から絵を描くのが好きで教室の自分の机や椅子や文具はいつも落書きでカスタマイズされていた。中学生の時、友達が当時抽象画にはまってた自分に「芸術家が仕事として成り立つんはおかしい」と言って口論になった事がきっかけで、呪文のように常に頭の片隅に「アートとは何か?」と言う事を考えるようになる。そのまま答えを出せずに美術家をめざせと言う高校の美術の恩師の熱烈な勧めを断り、商業美術の世界に入るが、もともと型にはまった常識と物まねが嫌いな性格が邪魔をして商業美術の世界には常にフラストレーションを感じていた。
'80年代半ばからジャマイカに行ったのをきっかけにレゲエのセレクターとしても活動するかたわら、個展やライブペイント(当時はフリーペインティング)などの活動も始める。
'90年に入りARTという言葉がHEARTの中にあるのに気付きARTとは頭で考える事ではなく心で動く事だと言う持論を確立する。
'93年に「頭で考えない生まれたての赤ん坊はみんなオリジナル」なのを見て、子供でも使えるマーカーを使い全ての技術を捨ててドローイング作品を発表する。この時に出来たオリジナル作品が後に"浪花男"が命名した「ノウミソ君」である。
'94年の阪神淡路大震災のショックとデザイン業界にコンピュータが導入され、商業美術も作品に対してのスポンサーと言う考えはなくなり現代美術界にも商業美術のクライアント説得の常套手段としてのコンセプト(コンセプチュアルアートとは別)が混入されていくのを見て、持論であるARTはHERATの中にのみ存在する事を証明するために本格的に「アートとは何か?」を追求し活動を始める。米粒から巨大壁画まで全ての絵を下描きなしで子供にも使えるマーカーでどこまで描けるか?と言う挑戦は時には細密画の様に細かく、時には驚くべき早さで世の中の動きとは真逆に常に閃きと共に進化し現在に至る。

アートとは何か?
アートとは何か?と言う事を言う前に、この世には完璧なものはないと言う事を説明しなければならない。数学上の完全な平面も直線もこの世には存在しないし、過去の歴史や未来像も常に変化する。
しかし人間が「人間社会」を潤滑に維持するためにこれらを暗黙の了解「概念」として共有することは非常に重要な事だ。
例えば「10個のMサイズの青森産のもぎたてのリンゴ」を売買するのに「Mサイズのもぎたての青森産のリンゴ」と言う共通の認識がなければ商売は成り立たない。が、この世に姿や形、重さまで全く同じリンゴは存在しないのである。同じように工業製品でもその事は言えるし人間はもちろん地球上のすべてに当てはまる。
人間は他の動物と違い共通の概念を頭で認識する事が出来ると言う事で発展を続けてきた。過去と未来やルールや物事を概念によって共有することで一時的な安心感を得る事が出来る。だが一転してこの概念が揺らぐ事件が起こった時不安が訪れる。そしてまた新しい共通の概念を求めて共有し安心すると言うむなしさが社会には常にある。何故なら全く同じリンゴはこの世に存在しないからである。
アートとは何か?と言う事を考える時、心の満足を考える。本当に心が満足する時は頭で何も考えない時だと思う。
人間には共通の概念を持つということが出来ると言う事とは別に自分の意思で物事に集中すると言う能力がある。自由に歌を歌ったり、自由に絵を描いたり自由に物を作ったり出来る。体を使い、瞬間に集中することによって職人も漁師も百姓もスポーツ選手もミュージシャンも絵描きもスキルをアップする事が出来る。瞬間にある閃きは神から与えられる。そして進化する。そこには表現といった意図的ないやらしいものもなく、例えば自分の限界で走るマラソン選手の様に先頭の選手にも最後尾の選手にも感動してしまう平等さがある。ARTは元来コンセプトさえ求めなければ全ての人間に平等なのである。そして人間のどんな行為の中にも瞬間に集中するギリギリの姿の中にこそARTは存在する。絵を描く時、彫刻する時私は全く下描きしない。常に集中することで閃きを得て常に進化する事で、ARTとは何か?と言う事をと言う事を証明しようと思っている。
PRAKTIKEとは原初のキリスト教修道はコンセプトから入るべからず経験から悟るべしという「ダライラマキリスト教を語る」と言う本から頂いた言葉です。

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